2008年7月13日 (日)

松山へ向いて‐2

2日目、朝食はバイキングだった。

ホテルを7時10分に出発して、30分余りでスタート地点に到着し、準備運動をして出発した。

しばらく歩いて番外札始大師堂へ到着し、般若心経を1巻だけあげた。

ここは、遍路の元祖、衛門三郎が遍路を始めた場所だそうだ。

しばらく歩いて重信川を渡った。普段、水が流れた所を見たことがないが、この日はわずかだが水が流れていた。

橋の上からは遥か石鎚が霞んで見えた。

橋を渡りしばらく進むと、48番西林寺である。ここは大師堂が建て直ししている最中で、お大師様は本堂に居候中だった。

西林寺から前の県道を少し北上して、遍路道は西へ向きまた北上して田圃や住宅地の中をすり抜けて、49番浄土寺の門前に出た。

結構この時分には日が高く昇り、かなり暑くなっていた。

朝に買ったポカリがここで無くなり新しいのを買った。

距離はまだそう歩いていないが、前日の下りと、この日の暑さのためにかなり疲れが出てきている。

352県道から遍路道は分かれて、墓場の中を通りまっすぐ進み、坂道を登ると50番繁多寺である。10時30分到着。

広い境内は太陽に焦がされ、かなり暑い。

354お勤めを終えて、門前に集合したが、そこにアイスクリームやが店を出していたので思わず買ってしまう。

冷たくて美味しい。疲れた体が蘇るようだった。

住宅街の中を通り抜け、石手川を渡れば51番石手寺だ。

お勤めを終え、ストレッチをして出発したのが12時過ぎ、昼食地点である50番のすぐ近くにある「媛彦温泉」へ向かった。

温泉に入り、13時30分から昼食となった。

温泉から上がると13時ごろだった。店のスタッフに聞けば、13時30分から昼食だが、席に着いてもかまわいらしい。レストランには生ビールもあるとのことなので、メンバーのHさんとすぐに食堂へ行って生ビールで乾杯した。

何とビールのうまいことか。あてを頼んで2杯目を注文、食事をしながら更に1杯注文した。

食事の後バスで一路京都に向かったが、途中であてを買い込みバスの中でも500の缶を2本空けてしまった。

ビールを飲んで、疲れもあったのですぐに寝入ってしまった。

気がつけば吉野川SAだった。

京都への帰着は19時50分だった。

いつもなら市バスで帰るのだが、この日は京都駅で食事をしてタクシーで帰った。

今までにない疲れだった。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2008年7月12日 (土)

松山へ向いて

また、恒例の歩き遍路だ。

今回、残念と言うか、ショックだったのは、撮った写真が、メモリーカードのせいか、カメラ自体のせいか、7枚しかメモリーカードに残っていなかったことだ。(涙)

7時にいつも通り八条口を出発し、淡路島経由で松山へ向かった。

松山ICで降りて、前回と同じ「開花亭」で昼食をとったが、前回と同じメニューだった。

そして、一路バスは三坂峠を登り、峠のバス停の所に到着したのが2時前だった。

準備体操の後、すぐに遍路道に入り、少し坂を登った後、下り坂となった。ここから8キロ余りの間に、一気に600メートルを下らねばならない。

所々石畳の急な下り坂を一気に下った。少し下るとあずまやがあり、そこでしばし休息をとった。

あずまやを過ぎれば、そこからは簡易舗装の急な下りとなり、道の横には田圃や畑がある。

坂が急で膝が笑う。焼山寺の下りと同じくらい急な下り坂だった。

峠から小一時間で、阪本屋跡に到着、そこでトイレ休憩をとった。

暑いとは言え、この日は風があり助かった。

阪本屋跡あたりからは坂もゆるくなり、民家も見えるようになった。

田圃の中の道を遍路道の目印に従ってしばらく山を下ると、網掛大師で、お堂の前に網掛け岩がある。

岩は高さ2メートル余りで、周りは10メートル以上あるだろう。岩に網目のような模様があるので網掛岩というそうだ。

昔、弘法大師が、オウコで網に入った岩を担いでいた所、オウコが折れて岩がこのところに飛んできたそうだ。実際、この岩をお大師様が担いだとすれば、お大師様はすごい大男だったということになる。

山を下り、道が平坦にになり、1キロほど歩くと16時頃に46番浄瑠璃寺に到着した。

お勤めを終えて、お寺の裏から田圃の中の道を行くと、すぐに47番八坂寺が見えてくる。

このお寺の山門は、寺の前の小川に架かる橋が山門になっている。

お勤めの後、山門を出たところを左に曲がり、あぜ道のような遍路道をしばらく歩いて別格9番文殊院へ向かった。

文殊院への到着は17時少し過ぎだった。

本日はここでお勤めを終えて予定終了。

ここからバスで道後温泉の「つかさビューホテル」に向かった。

途中道が混んだりして、1時間弱で宿に到着した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月21日 (土)

逆打ち車遍路・27番から‐2

036朝6時過ぎにホテルを出て、井戸寺へ向かった。

足の痛みも、昨日ほどではなくなっている。

井戸寺では、朝早くから数人のが参拝していた。16番、15番と打つ。

国分寺では、いまだに大師堂が再建される様子もない。他のお寺では、私が遍路を始めてから10年余りの間に、本堂や大師堂、山門が新しくなったりしているが、ここではそういった気配が全く無いのである。

14番ではすでにツアーの団体も参拝に来ていた。

04013番のあと、焼山寺へ向かったが、ここで雨が降り出した。

焼山寺では、大師堂が完成していた。

別格2番童学寺、藤井寺へ。藤井寺では、歩き遍路の人がいて、「これから焼山寺へ登り、宿坊に泊まる。」という。すでに11時で、この時期宿坊もしていないはず。「焼山寺へ問い合わせをした方がいい。」とアドバイスをして別れた。

切幡寺へ向かう途中、「八幡」で昼食をとった。

法輪寺では、門前のあわじやで、楽しみにしていた草もちは売られていなかった。土、日しか売っ049 ていないようだ。

熊谷寺では、大師堂の改築も終わっていた。

十楽寺から、別格1番大山寺を経て大日寺まで打った後、3番の奥の院愛染院をお参りして、1番で無事結願した。

参拝終わったのが丁度17時だった。

お参りを終わると同時に雨が降り出した。雨の中を一路京都へ向かって帰路についた。

途中、西宮名塩でトイレ休憩をして、東寺の前を通過したのが丁度19時だった。

霊山寺から丁度2時間だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

逆打ち車遍路・27番から

00217日の夜出発し、南国で泊まりった。

伊尾木で、今まで気になっていたのだが、見たことがなかった「寅さん地蔵」に立ち寄った。

7時過ぎに神峰寺へ到着した。

004前回、ゴールンウイークに、28番まで打っていたので、その続きだ。

早くから、歩き遍路の方もお参りしていた。

続いて26番へ向かう途中、キラメッセに立ち寄り小夏とスモモを購入した。

00526番、25番、24番と室との3ヶ寺を打ち、別格4番へ。

この間、左は山、右は海という変化のない道の運転で、昨夜3時間余りしか寝結果、運転中に睡魔に襲われた。

012隣では家内がいつのも如く「寝遍路」である。

別格4番の後、薬王寺にお参りして昼食をとった。

平等寺の後、太龍寺へ、ロープウエイでお参りした。

024

運良く、登り、下りとも団体とかち合うことなく、私たちを入れて8名だけでゆっくりとお参りできた。

その後、山麓駅を出て鶴林寺に向いて出発した所で工事をしていて、何と1時間の間に10分間しか通行止めが解除されない。

運良くここを待ち時間なく通行でき、鶴林寺、別格3番慈眼寺、立江寺へお参りし、17時直前恩山寺へ到着。

先に納経所へと向かった途端、右のふくらはぎに痛みが走り、歩けなくなった。

とりあえず、家内に納経所へ走ってもらい、後を追いかけようとしたが、歩くことさえままならない。

立っているだけでも痛みが治まらない。

とりあえず、徳島の東横インにチェックインして、近くの病院へ行った。

どうも、疲れがたまり、筋肉が断裂したようだ。

翌日の遍路がちゃんとできるか心配だった。

ホテルで、魚が美味しい「おらが大将」という店を紹介してもらって、そこへ夕食に行った。

鰯の刺身など、鰯が新鮮なのだろう。臭みもなく、脂が乗っていて誠に美味だった。

ホテルに戻り、風呂に入ってベッドで横になってテレビを見ながら、いつの間にか寝てしまっていた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月15日 (日)

歩き遍路・岩屋寺を越えて‐2

3252日目朝起きると周りは霧に包まれていた。

朝食後バスで岩屋寺前に移動た。

準備体操をして、7時半に出発した。

338準備体操をしているうちに霧は晴れ、雲ひとつない快晴となった。

過去2年間、6月の遍路は大雨に遭っているから、こんなに嬉しいことはない。

川沿いの遊歩道を歩いたが、前日の雨のせいで、落ち葉が濡れて足許331が滑りやすくなっているので注意して歩いた。

30分ほど歩き古岩屋荘まで戻ってきた。

トイレ休憩の後、遍路道に入ってしばらく進むと、大師堂があり、その奥には岩屋の中に不動明王を祀った所があった。

340どういった方法であのような岩壁の割れ目に像を祀ったのだろう?

そこから進もうとしても、橋が崩れそうで危険ということで、道が通行止めになっていた。

仕方なく少し戻ったところから迂回路を通り、八丁坂の入り口へ。

このころから、歩くと右の膝が痛み出した。

階段状の所を登ったり、下りでは特に痛んだ。どうも、昨日岩屋寺へのくだりで転んだときにどうかなったのだろう。

そこからは昨日通った道を河合まで戻った。

河合から、遍路道を行くと階段があるので、私は一行とはなれ、車道を峠御堂トンネルのほうへ向かって歩いた。

昨日スタートした地点で一行に合流し、トンネルを越えて久万の町から三坂峠に向かった。後約10キロほど歩かねばならない。

344久万から三坂峠まで、約200メートルをゆっくりと登ることになる。

こののぼりが結構こたえた。

途中何度か小休止を入れながら、明神のあずまやでしばし休憩。

347 振り返ると、久万方面がだいぶ低い所に見える。

ここから約2キロ歩いてゴールの三坂峠に到着したのが13時少し前だった。

バスに乗り込み松山に向かったが、結構疲れたのようで、すぐに眠ってしまった。

349 前日食事をした開花亭で食事を採ったが、私の大嫌いなジャコ天の定食で閉口した。

食後、隣のスーパーでビールとあてを買い込み、一路京都へ向けて出発。

西条を過ぎた頃からいつしか寝てしまい、気がつけば吉野川のSAだった。

その後渋滞もなく、京都に帰着したのは19時30分過ぎだった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月14日 (土)

歩き遍路・岩屋寺を越えて

28612、13日は恒例の歩き遍路だった。

いつも通り7時に八条口を出発した。途中、淡路、吉野川のSAで休憩して松山に向かった。

2日ほど前まで、雨の予報だったのだが、家を出るときに降っていた雨もいつしか上がり、松288山に着いたころには太陽も出てきた。

12時頃に松山ICを降りて、砥部に向かって少し走ったところにある「開花亭」というところで昼食をとった。

昼食後は、一路久万高原に向いて、三坂峠への坂道を登る。

293お久万大師の前を通り、峠御堂のトンネルを越えて少し行った所が今回の出発点だ。

ここに着いたのが13時30分過ぎだった。準備体操をして、すぐに下りの遍路道に入り階段を下ると河合の集落に着いた。

ここでトイレ休憩ををして、平坦な道を30分ほど歩くと、遍路道に入る。

295 緩い上り坂の砂利道の林道を20分程度歩いただろうか、いきなり先達が道を間違えたことに気付き、そこから県道まで逆戻りしなければならなかった。

戻る途中、野生のラズベリーを発見し、食べたら甘酸っぱかった。

296県道へ戻り、50mほど進んだところに遍路道の入り口はあった。

遍路道は、玉石が敷かれていて、雨の後で結構滑りやすくなっていたので気をつけて歩かねばならなかった。

298道は緩い上り坂から、玉石の階段になり、そして地道となった。

小さな峠を越えた向こう側は、ぬかるみの道がしばらく続き、緩い坂道を下り、林道と合流するとすぐに八丁坂の入り口だ。

300 ここから一気に150m余りを登らねばならない。

噂では結構「きつい」と聞いていたのだが、ゆっくりと登ったせいか、そうえらいとは思わなかった。

302

約20分ほどで八丁坂の頂上に出てそこでしばし休憩をした。

ここで2匹のシマヘビに出くわした。

久々に蛇を見て出発。

303頭上では「ホッホー、ホッホー」と鳴く鳥が我々の上をずった付いてきた。昼間だから梟ではないだろうし、姿が見えないからどういった鳥か全く分からない。

続いて、啄木鳥が木をつつくのが聞こえた。

307尾根道をアップダウンしながら進むと、「マムシ注意」の看板が立っていた。

そこからは、薄暗い杉林の中を歩き、道が下りにかかるとまもなく岩屋寺だ。

下る途中滑って尻餅をついてしまった。

312副割禅定の入り口を通れば、すぐに山門である。

山門は他のお寺に比べ、結構天井が低くて圧迫感があった。

門をくぐれば大師堂の前に出る。本来は、こちらの門が正面入り口で、い321 つも車遍路のときに通ってくる山門は裏口である。

17時少し前に45番海岸山岩屋寺に到着した。

本堂、大師堂でお勤めをして、「裏参道」を下り、駐車場に着いたら17時30分をまわっていた。

バスでこの日の宿「古岩屋荘」まで移動した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月11日 (日)

歩き遍路・久万高原へ‐2

248 2日目は、6時30分より朝食で、7時10分に宿を出発。

この日は3つの峠を越えねばならない。天気は曇りで、前日に比べてかなり涼しい。44番大宝寺を越えて、河合が目的地である。

251宿を出て約40分ほどで落合へ到着。準備体操をして8時前に最初の峠である下坂場峠に向いて出発した。

標高570mの峠に向いて、ずっと緩い上り坂が続いた。

約40分歩いて三島神社に到着。拝殿には歌舞伎の一場面だろうか、絵253馬が奉納されていた。

神社からしばらく歩いた畦畦という集落から峠に直登する道に入る。ここが標高470mである。

舗装された道を10分ほど登ると、舗装道が終点となり、山道に入る。

255杉林の中をそうきつくもないが、息を切らせて坂道を登った。

10分余りで車道に出た所が下坂場峠である。

峠で休息してダラダラした下りを1キロほど下ると大師堂と260いうところに出る。ここから大宝寺まで6キロ余りだ。

そこから、今度は鴇田峠(ひわだとうげ)へ向いての登りになる。大師堂から約2キロで山道に入った。ここから約1キロで峠だ。標高差にして100m程 を登らねば鳴らない。

265途中に、車道を横切り、少し登った所に「だんじり岩」というのがあった。

昔、弘法大師が修行をしていて、余りの空腹と疲れから、まだまだ修行が 足りないと、だんじり(地団駄)をふんだから、それ以来「だんじり岩」と呼ばれるようになったらしい。

266弘法大師の、人間臭さが伺えるエピソードである。

10時45分頃に標高790mの鴇田峠に到着した。この峠を越えれば久万高原だ。

ここから急な山道を下り、ダートの車道に出た。この車道は、峠越えの車道である。

274ダートの道をしばらく下る徒歩騒動に出て、しばらく下ったところから再び遍路道を下るとR33に出た。

久万川を渡り、坂道を1キロ余り登ると大宝寺の入り口である。山門をくぐり、石段を登れば、新緑に囲まれた本堂に出る。

27812時過ぎに本堂前に到着。

本堂、大師堂とお勤めをして、寺の裏側にある最後の峠、峠の御堂峠に向かった。

この日、出発してから13キロ余りを歩いた後、更に150mほどを登らねばならない。

281 先の2つの峠よりも急坂で、疲れた体にはかなりこたえた。

峠の手前に、この峠の由来になったと思しき祠があった。

標高715mの峠を越えて急な坂を下ると、ベンチが有りそこでしばし休息。そこから更に坂道を下ると、すぐに峠の御堂トンネルの入り口に出た。

282 岩屋寺のほうに向いて坂を下るとすぐに河合である。ここが本日のゴール。

バスに乗り込み、来た方向へ引き返し、峠のトンネルを越え、久万高原美術館の入り口にある「みどり」で遅めの昼食をとった 。

昼食の時のビールも格別だった。

三坂峠を越えて、松山ICから高速でに乗って、京都へ帰着したのは20時30分頃だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

歩き遍路・久万高原へ

2205月8日、快晴の中、いつも通り八条口を7時に出発。

予想最高気温は26度。かなり暑くなるのを覚悟しての出発となった。

淡路SA、吉野川SAでトイレ休憩をして、松山道を一路内子五十崎へ。

219インターを降りてすぐの道の駅KARARIに到着したのが12時過ぎだった。そこで昼食。

昼食をとり、再びバスで出発地点の大瀬中央に着いたのは13時15分頃だった。

準備体操をして出発。ここは、大江健三郎の出身地で、真ん中の家が生222家だそうだ。

大瀬中央から2キロ余り進むと、千人大師堂と言うのがある。これは、善根宿をしていた人が、1千人を泊めた記念に、大師堂を建て、そこを泊まれる ようにしたものらしい。

この日は結構日差しが強く、頭に巻いたタオルもこのあたりまで来るとかなり湿ってきてい224た。

ここからしばらく歩き突合の少し手前の道の上に、注連縄のようなものが 張られていて、藁で作った物(何か分からない)と、杓文字が吊り下げられていた。多分、村の入り国の結界を示しているのだろう。

その結界からすぐに小田町に入り、歩き出して1時間15分で突合に到着。225丁度この日の行程の中間地点だ。

ここでしばしのトイレ休憩をとり、ゴール地点の落合に向かって出発だ。

ここから、道はR379を砥部の方へ向かうことになり、しばらく進むと、山の斜面にツツジが一面に咲いた所が見えてきた。

228手前ではモミジがきれいに植えられていて、手入れが大変だろうと思っていたら、造園屋さんの敷地だった。

川沿いの国道を約1時間歩くと田渡の薬師堂へ到着し、ここで休憩。

ここから約1キロ、トンネルを越えた所が落合で、この日のゴール。

232この日は、別に山道を登ったわけでもないし、そんなに距離を歩いたわけでもないのにすごく疲れた。

多分、気温が高かったのと、歩くペースが少し速かったからかも知れ得ない。

バスで内子にある、前回と同じ宿のハイプラザ内子へ到着246したのが17時ごろだった。

先ずは風呂で汗を流し、その後のビールは格別だった。

18時から食事で、この日は改めてメンバー全員が自己紹介。

236大爆笑の夕食となった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年5月 5日 (月)

逆打ち車遍路‐4

最終日、朝は6時30分に起きた。前の川を見ると、30センチも有ろうかというアマゴが悠々と泳ぎ、その後を少し小ぶりのものが二匹泳いでいた。

洗面を済ませて7時前に出発した。

この宿は朝食が8時からということで、朝食はキャンセルしての出発だ。

102国道へ戻り、窪川へ向い、岩本寺へは40分ほどで到着した。

岩本寺では、朝から多くの人が参詣していた。多分、宿坊に泊まった人たちだろう。

この日はヒロ君が庭を散歩していた。結構ご機嫌だそうだ。

窪川から須崎の別格5番へ向かったが、途中コンビニでパンを買って朝104_2食にした。

久礼を通過しようとした時、大正市場があることを思い出して、かつおを買いに立ち寄った。私は、かつおとか、鯖とか、背の青い魚が大好きで、土産に鰹の刺身とタタキを購入した。

この日は、鰹の水揚げが少なく、3日ほど前の3倍の値段だそうだ。片身106を買ったが、1,300円程だった。帰宅して食べたが大変美味だった。

須崎へ向かい、大善寺の石段を登ると、鐘突堂が落慶間近だった。

納経所では、今まで見た事が無い小僧さんに代わっていて、今までの小僧さんは、どこか別の寺へ行ったらしい。

107横波スカイラインを36番へ長い石段を息を切らせて登った。

塚地峠のトンネルを越えて35番へ向かった。途中、ガードマンが立っていて、35番へは道が一方通行になっているとのこと。裏側から山を登った。

119境内から結構見晴らしはきくのだが、霞んでいてあまり遠くまでは見えなかった。

34番、33番と打ったが、33番の納経所には、例の名物オジサンはいなかった。

桂浜の横を通り、浦戸大橋を渡ったところにあるかつお丸で昼食をとっ125た。

かつお丼を食注文したが、味は美味しかったのだが、割高に思えた。1,000円也。

でも、ここで食事をしておかないと、この先食事をとる所がない。

32番を打ち、31番の駐車場に着くと、何と「街道てくてく旅」収録をしてい122るではないか。

四元奈生美さんは、テレビで見るより実際の方が美人である。

美生柑をお接待したら、納札を頂いた。

お参りを終えて山門まで戻ってくると、ちょうど「今日は、何歩かな?」とい141うところを収録していた。

結構ギャラリーも集まっていた。

その後、30番と、隣の土佐神社、29番を打った。

29番は杉苔と牡丹がすごくきれいだった。

物部川を渡り、野市の街中を越えて28番へ向かった。

13328番では、奥の院の爪彫薬師にもお参りして、今回の遍路は予定終了。

南国の道の駅に立ち寄り、R32を大歩危、池田を越えて琴平へ。

坂出で給油をしたが、この辺りはリッター153円前後だった。

18時ごろに坂出北ICから高速に乗って、帰 宅したら21時前だった。

136今回は、本来駆け足で3日でまわるところを、4日間でまわったので、ゆっくりの遍路だった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年5月 4日 (日)

逆打ち車遍路‐3

065_2目覚ましに起こされたのが6時45分。7時に朝食を食べに1階へ降りた。

既にN氏、H氏ともに出発したとのこと。

朝食をとってすぐに出発。一路宇和島を越えて40番へ。

069_240番へは約2時間程かって到着。到着したとたん小雨が降ってきた。

お参りを終えて、門前のいつもミカンなどを売っている露店で文旦と美生柑を試食したら結構おいしかったので、一袋ずつ購入した。

073_2続いて39番へ向かったが、雨は少しきつくなってきた。

39番では、さつきが見事に咲いていた。

39番を出て、宿毛へ戻り、海沿いの道を足摺に向かったが、雨は結構強079_2 くなってきた。

土佐清水の黒潮市場へ11時45分頃到着し、そこで昼食をとったが、結構メニューの割りに高いように思えた。

焼き鯖寿司を注文したが、京都近辺で売っている焼き鯖寿司のほうが断然美味しかっ081_2082_2た。

スカイラインを足摺38番へ向かったが、山頂付近は濃い霧が暫く続いた。

38番へ到着したが、雨は一向に収まらなかった。

083085_2本日はここで打ち止めで、これから四万十川方面へ向かった。

38番からは、スカイラインではなく、初めて岬の東側の道を走った。窪津までは、時々狭いところも有ったが、2車線のところもあり、順調に進んだが、窪津から以布利までは車1台が通れるカーブだらけの道が続いた。

時間的には、スカイライン経由より、こちらの方が少し早いようだったが、対向車などが来て時間がかかることを考えると、スカイラインの方がベタ088ーかもしれない。

中村からは、R441を四万十川沿いに遡り、いつしか雨は止んでいた。

途中で、沈下橋を渡ってみたが、手摺は無いし、車1台ぎりぎり通れる巾で結構怖かった。

途中いくつもの沈下橋を見ながら進んだ。

この道も結構細くてカーブの多い道だった。江川崎から、大正の方に向か089って走り、途中こいのぼりの里というところでは、対岸の山の上から引っ張ったワイヤーにこいのぼりがいっぱい吊るされていて結構壮観だった。

ただ、こいのぼりと言えば、九州の杖立温泉のこいのぼりの方が、確か3,000匹余りだそうで圧巻である。

大正を越えて山の中に入り一の又渓谷温泉がこの日の宿。

095094一度前から行ってみたかったところである。

国道から約5キロ入ったところに宿はあり、16時前に到着した。車を置いて門をくぐり、谷底に降りると宿がある。

チェックインして先ずは温泉に入った。檜の香りがして、渓流が目の前にあるきれいな風呂だったが、残念ながら湯は循環だった。

097山の中の渓流沿いのせいか、結構寒く、部屋に暖房を入れた。

18時過ぎから夕食で、増すか何かの刺身に、アマゴの塩焼き、ウナギの蒲焼にキジ鍋、三歳の天婦羅などなど。

098099アマゴの塩焼きは冷めているし、料理の内容や、部屋の状況、温泉から考えると少し高いように思え、もう一度行こうとは思わなかった。

食後にもう一度風呂に入り、21時ごろ消灯した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 3日 (土)

逆打ち車遍路‐2

松山では、ホテルにあったフリーマガジンを参考に、近くの店を色々と見ながら歩いていると、客引きのお姉ちゃんに声を掛けられ、これも何かの縁と「おだまき」という店に入った。

地元の魚を中心に、結構ボリュームのある料理が出てきた。

結構この日は暑かったのでビールが美味かった。

ホテルに帰って横になっているうちに寝てしまっていた。

トイレに起きて歯を磨いて再度眠りに着いた。

039朝は7時頃ホテルを出て、一路三坂峠へ向かった。1時間余りで45番岩屋寺に到着。

ゆっくりの坂を上ったが、空気が冷たくてすがすがしい鶯が鳴く中を約20分で本堂に到着。

041 納経所のベンチに腰を掛けて一服してから下山した。往復に要した時間は50分だった。

そこから44番へ戻った。今回、納経所の女性は、以前より少しは愛想が良かった。

043久万高原から真弓峠を越え、小田、大瀬を通り越して内子に着いたのは10時45分だった。

下芳賀邸で、早昼を食べようと思ったが、開店は11時からだったので、その辺をぶらぶらして時間そうた、先月、歩き遍路のときに閉まっていた049 ロウソク屋を見に行った。

食事の後、別格8番十夜ヶ橋、別格7番出石寺を打った。

出石寺からは、大洲の町や、八幡浜の海がかすんで見えた。

050八幡浜を越えて卯之町へ、そして43番を打ち、どんぶり館でイチゴを買っておやつに食べた。

歯長峠へ向かう途中、「がんばる歩き遍路」の一行と会った。先達は旧知のMさん、添乗員はN添乗員だった。

055N君が「何してるんですか?」と尋ねる。「遍路に決まっているやん。」と答えた。

ツアーは、愛媛5期のツアーだったが、我々のチームと違って、女性が多い。女性といってもかなり高齢の方が多いように思えた。

歯長峠を越えて42番、41番、別格6番まで打ち、この日の予定は終了。

宿は内子でとっていたので、国道をそのまま戻った。

途中、オートバックスでエンジンオイルを交換し、とにかくガソリンが安い間に給油をして、この日の宿である松乃屋へ到着したのが17時半頃だった。

風呂に入り、18時15分に広間に下りると、他の客を既に食事を始めていた。

少し遅れて、同時にチェックインした大阪から来て、自転車遍路のH氏が向かいに座った。

そのうち、隣のテーブルに座っていた、これも大阪から来た歩き遍路のN氏が話しかけてきた。

色々話をするうちに、何とN氏は、この前まで私の実家があったところの隣のオジサンと同級生であることが判明し、「何と世間は狭いなぁ。」という結論に至った。

更に、N氏は、私が、前職のときに取引先だった人のことも良く知っていて、更に、「世間は狭いなぁ。」ということになった。

また、N氏とH氏もごく近くに住んでいるらしく、N氏の部屋にH氏ともどもお邪魔して、ビールや日本酒をご馳走になった。

何時ごろお開きになったのかはわからないが、目覚ましに起こされるまでぐっすりと寝た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

逆打ち車遍路

002正月の続きで、4月28日、会社が終わってから8時20分に家を出て一路四国に向かった。

伊予西条でで一泊して、64番から打ち始めだ。

003初日、6時に起きる予定が、目が覚めれば7時前だった。

あわてて準備をして出発した。

64番を打ち60番へ山道を登った。

012_2横峰寺では、山桜が満開だ。納経所が工事中で、本堂の中で納経をしていた。

63番から60番まで逆打ちし、別格11番生木地蔵、別格10番興隆寺を打った。

014興隆寺は、モミジの新緑が大変きれいだった。

そして国分寺へ、国分寺の前にある後苦楽館さんでハンドタオルのお接待をいただき、帰りにはアイスクリームのお接待いただいた。ありがとうございました。

続いて58番からも逆打ちをして、今治駅の近く、竹一といううどん屋で昼食をとった。

03447番 八坂寺では、昭和36年製のセドリックが停まっていた。

まだ現役で走っているのがすごい。

46番まで打ち、この日の宿へ向かった。

この日の宿は、松山市にある、ホテル3番町で、1泊3,980円まだ今年の2月にできたばかりできれいだった。大浴場は奥道後から引いた温泉なのも良かったが、塩素殺菌していたのが残念だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月15日 (火)

十夜ヶ橋を越えて‐3

182内子座の前に到着したのが11時15分だった。

1時間半のフリータイムとなり、内子の町を自由に散策した。

内子座ほか、二ヶ所が見学できるチケットを貰い、先ずは内子座から見 183学した。

中は案外狭く感じられた。奈落のそこも見学し、古い町並みの方へ向かって歩き、内子で有名な旅館の「松乃屋」の前を通り過ぎた。

185次に「商いと暮らし博物館」を見学した。元々薬屋だったようで、当時の生活の様子がうかがえる。

蕎麦がおいしい下芳賀家の前を通り、角に「かつ盛」という魚屋を見つけて入ってみると、ウチワ海老が有るではないか。

191聞けば1匹200円余りということで、6匹あったので全てお買い上げで1,350円だった。

死んでいるので刺身にはできないとのことで、帰宅して塩茹でして食べたら結構おいしかった。

194その魚屋の角を曲がり、坂を上ってゆくと古い町並みになる。漆喰壁の立派な建物が保存されている。本芳賀家も立派な建物である。庭だけを見学ができる。

町並みの一番奥のほうに木蝋の生産で財を成した上芳賀家を見学した。

197かつては、木蝋を天日干しをしたのであろう。広い敷地を有している。

そこから来た道を引き返し、途中でコーヒーを飲んで集合場所である「かつ盛」まで戻った。

198買ったウチワ海老を受け取り、ひょいとショーケースを見ると、「丸寿司」と言うのを売っていた。

ちょうど、俵のおにぎりに、アジやサヨリの酢で〆たのを、海苔の代わりに巻いたものを想像してもらいたい。

204これも買って、昼食の時に食べてみることにした。

橋を渡り、小田川の左岸を少し上流に歩き、吊橋を渡ると、道の駅「からり」だ。

205そこで昼食をとり、さっき買った「丸寿司」を食べてみた。

鮨飯と思っていたのは、実は胡麻とネギが混ざったおからで、これにも酢がきかしてあり、私好みの逸品だった。

207からりでも丸寿司を売っていたので、帰りのバスで飲むビールのアテにもう1パック購入した。

からりを13時40分に出発し、ゴール地点である大瀬中央まで約8キロの道のりだ。

210 小田川に沿ってトンネルを2つ越えたところで休息し、ゴールに着いたのは15時30分だった。

ストレッチをしてバスに乗り込み、内子でビールを調達して一路京都へ。

216高速に乗って、暫く走ると伊予灘が眼前に広がり、遥か彼方に本州、山口県の柳井あたりが見えた。

昨日の雨で、大気中のホコリが流されたので、空気が澄んでいるのだろう。

217休憩に立ち寄った石鎚のSAからは、遥かに残雪の石槌山が見えた。その後、淡路南SAに立ち寄り、京都着が21時30分だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月13日 (日)

十夜ヶ橋を越えて‐2

165朝は6時前に起床した。

天気は曇っていたが、予報では天気になるようだ。

朝は6時30分から朝食。

166ごく平凡な宿の朝食である。

食後、宿の周りをうろうろしていると、周りの土手に蕨が生えているのを発見 した。

出発までの10分ほどの間に写真の蕨をGETした。

7時10分に宿を出て7時30分ごろ大洲の町の駅に到着した。

167古い町並みを通り過ぎ、肱川を渡る。

向うに大洲城が見える。

再建された天守閣だそうだ。

169半袖のTシャツの上に半袖の白衣を着て歩いたが、最初は少しだけ寒く感じたが、歩き出せばすぐに汗ばんできた。

橋を渡り、国道を歩くこと1時間ほどで別格7番十夜ヶ橋永徳寺に着いた。

170ここは、松山道のインターのすぐ横にあるお寺だ。

寺のすぐ横に川が流れていて、対岸の端の下にお大師様の寝像が祀られている。

173

弘法大師が巡錫の折、「橋の下の野宿をし、この村の貧しさを、大師がどうすることもできず、そのことを思うと一夜が十夜にも感じられた。」ということで、十夜ヶ橋という。

一般的には、「大師が宿を求めたが、どこからも断られ、橋の下で野宿を175 したが、余りの寒さで眠ることができず、一夜が十夜の長さに感じられた。」と言われている。

国道を約2キロほど進むと、新谷という集落に入る。